1980年頃、福島県相双地域の新生児医療は黎明期にあり、日本で初めて出生体重500g未満の児を救った輝かしい歴史を持っています。当時は新聞記事にもなったそうです。

その後、超早産児は出産前に総合周産期センター(福島県内で言えば県立医科大学)へ母胎搬送する流れになり、相双地域で1500g未満の児は診なくなりました。それ自体は新生児医療の集約・高度化に伴うもので、悪いことではありません。しかし震災後にはスタッフ不足から、唯一のNICU(新生児集中治療室)が閉鎖されたままです。

いわゆる未熟児(早産児・低出生体重児)を診るだけが新生児科医の役割ではなく、成熟児として生まれた児も、大人に比べれば病気にもかかりやすいし、急変も起こる。そこに対応するには地域内に新生児・小児医療が提供される必要があります。


現在の相双地域の乳児死亡率は、残念ながら全国平均・福島県平均より高い水準にあります。現場は最善を尽くしていますが、マンパワーが足りていないと私個人は考えています。

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図表で見る福島県相双地域の保険・医療・福祉の動向(H26.5 福島県相双保険福祉事務所作成P.26参照)

 

「相双ふくしま子供病院」計画の顧問役を引き受けて頂いている新生児科医・仁志田博司先生の書いた「日本における近代新生児医療発展の軌跡」と共にご紹介します。(河村真)

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