歌手・七尾旅人は「Rollin’ Rollin’」等の曲で知られますが、震災後、南相馬でライブを繰り返しています。
彼が震災一ヶ月後に、原発近くの避難指示区域「圏内」の人達の思いを聞いて作ったのが「圏内の歌」。
「(自分は)離れられない小さな街。。
子供たちだけでも、どこか遠くへ。。」
その二つの思いに引き裂かれながら、やっと避難した放射線量の低い地域。それは、南のいわき地区であり、北の相双地域であり。。
その一つ、相双地域の周産期・小児医療体制が崩壊してしまえば、震災後3年半経った今、彼らは放射線のためではなく、まともな医療を得るために、更に遠くへ避難しなければなりません。放射性ヨウ素は既に無く、セシウムも年々減っていく。それなのに、更に遠くへ避難せざるを得ないとしたら、、医療者としてそれを看過することはできない。
昨年秋、南相馬に残る映画館「朝日座」で彼のライブを聴きながら、私はそんなことを考えました。(河村真)