この度の支援金・寄付金の返金を決断するに至った経緯をご説明いたします。

私の当初のプランは、クラウドファンディングと同時進行で医療スタッフの確保を進め、ファンディング成立時にはある程度人材の見通しがたっていて、それを前提に集まった資金で基本計画を作成するというものでした。
全てにおいて前例のない形でしたが、私の中では理解を広げる、資金を集める、医療スタッフを集める、病院の事業計画を立てる、などを同時並行ですすめたいと考えておりました。そのため、READYFORでの資金調達開始前から、病院運営のための医療スタッフ確保に向けて私自身が複数の機関に働きかけをし、交渉して参りましたが、現在までに人員確保に至ることが出来ませんでした。
そのような結果から、プロジェクト成立後の現段階において、残念ながら予定した規模の病院開設は困難と判断いたしました。

この交渉は私代表・河村の判断で進めてまいりました。READYFORでの資金調達進行中に人員確保が予想以上の困難を来していることを私は把握しておりましたが、発信を代行してくれた財団メンバーには十分それを伝えておりませんでした。このコミュニケーション齟齬の責任は完全に河村にあります。
これらの想定、人員確保の活動等の方針は、メンバーとの擦り合わせが十分でない面があり、今までの情報発信で説明が不十分となっておりました事をお詫び申し上げます。

返金の申し出についても、メンバーから、そして支援者・サポーターの方々から、期限を決めずともプロジェクトを進める事ができるのでないか、と助言を頂きましたが、支援をお願いし始めた時点と人員確保の見通しが異なっている以上、一度全額お返しすることが正しいと、責任を持って最終的に判断させて頂きました。

プロジェクトの発表時点では「この地域に子供達が本当にいるのか?」「子育てできる放射線量なのか?」といった疑問を投げかけられることが多かったのですが、一つ一つ丁寧に説明することで、疑問の声よりも理解者が増えていきました。
病院開設の基本計画・基本構想に活かすためのREADYFORでの資金調達は、資金を集めることのみならず、「理解を広げること」において素晴らしい役割を果たしてくれました。この「夢」の必要性を信じていただいた多くの皆様の力でプロジェクトが成立したことに、重ねて心から感謝申しあげます。

ご支援いただいた皆様が今後とも、この地の周産期・小児医療の発展を見守って頂けることになるならば望外の喜びです。ご支援のお気持ちをありがたく受け止めつつ、重ねてお詫びを申し上げます。

最後になりましたが、プロジェクト進行に尽力していただいたREADYFORスタッフの皆様、ご支援いただき情報拡散・支援拡大に尽力いただいた皆様、財団メンバー・協力者の皆様へ、この場をお借りして深く感謝申し上げます。

2015年1月
一般財団法人 相双未来基金
代表・河村 真

(財)相双未来基金・代表の河村真です。長文となりますが失礼いたします。

READYFORでのクラウドファンディングの成立後、長らく情報の更新が途絶えておりました事、まずはお詫び申し上げます。

READYFORでは期待を遥かに上回る400人以上、1000万円以上のご支援を頂き「プロジェクト成立」の形になったことに、心から御礼申し上げます。

しかしながら、資金調達開始時にわたくしが想定していた見通しと状況が大きく異なってきてしまった為、当初の予定通りのプロジェクトの遂行が困難となりました。
そのため、今回ご支援頂いた金額は全額お返しし、仕切り直しをさせていただく事を決断いたしました。このプロジェクトにご支援いただいた皆様には、心よりお詫び申し上げます。

また、このような事情のため調整に時間がかかり、情報発信、お問い合わせへの返信等が滞っておりました事を改めてお詫び申し上げます。

READYFORを通してご支援いただいた皆様へ

READYFOR提携の代行会社より返金させていただく事となります。READYFOR運営事務局より追って連絡がございます。

個別に当財団口座へ直接ご寄付いただいた皆様へ

連絡先等をお知らせいただいた方には順次返金方法等についてご相談したく、おってご連絡させていただく所存です。
なお、連絡先をお知らせいただいておりません方はお手数ですが、こちらの連絡フォームよりご連絡いただきますと幸いです。

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返金を決断するに至った経緯については、長文となりますので、下記リンク先にご用意いたしました。
返金に至る経緯について

なお、READYFORプロジェクトサイトにてもご報告させていただいたおります。

>READYFORプロジェクトサイト:新着情報「成立のお礼と、計画変更および返金についてのお詫び」

「相双ふくしま子供病院」の目標は、相双地域に残った数少ない小児科医・産科医が、日々の多忙な診療に疲弊し倒れてしまう前に、彼らと共に、この地域の小児・周産期(成育)医療を支えることです。震災後3年半経って、行政の具体的プランがない中、ゼロからの計画です。